ヘッダ
天使のヒエラルキーにおいて最下位の階級「精霊」に属する、光の世界よりの神使。
信仰心を持つ人間にとって最も身近な天使である。純白の翼で空から舞い降り、頭上に頂いたヘイロウで迷える者の行く道を照らすと信じられている。
その手に携える様々な神具は、正しき者を救う誓いを表すだけでなく、心悪しき者を討ち倒す強力な武器にもなるという。
天使下位三隊「精霊」の中で、アフィニティより一段階高位の大天使に属する神使。九段階ある天使のヒエラルキーの中でも8番目の位である大天使は、より物質世界に近い存在で、人間たちと接触する機会も多い。信奉者が強く心に念ずれば、天使の一群と共に降臨し、救いの手を差し伸べてくれるという。
天使下位三隊「精霊」の中で最上位となる、権天使の位を冠した神使。悪霊からの守護を司り、その身に堅牢な鎧と盾を備えている。
幸福を侵す悪しき者に対して容赦なく神力を振るうその姿は、救いを求める人間から強い崇拝の念を集める。
第六ヒエラルキーとなる能天使で、中位三隊の「子」に属する。より霊的な存在に近くなり、天に仇なす悪しき者たちを滅ぼす役割も担っている。
天使の格付けでは下位とはいえ、人間より遥かに高次であり、霊力の強い人間でもこの天使に出会うことは稀であろう。
戦闘能力に長けており、悪魔との争いでは彼らの目覚しい活躍が良く見られる。
「神を運ぶもの」と伝えられるブレイブスは、三体で行動し、その頭上に能天使のヘイロウを頂いているが、実は自らの力を三分しているに過ぎず、有事の際には三位一体となって本来の姿-天使のヒエラルキー第二位の智天使-となる。天界随一の豪腕を誇り、その力で裁きを受けた魔の物は数知れない。
霊的な力が低く、物質世界、つまり人間界でも比較的目撃例の多い天使。威厳に満ちた顔を持つディアが、赤子の顔のデコレイションズを無数に伴って現れる。気まぐれに矢を放つ姿から、キューピッドと混同されることも多いが、その矢で信者の心を打って夢中にさせる様は、さながら愛の女神のようでもある。
車輪のような姿をした天使。人が人を超えることを善しとせず、その中であがき続けることを強要するために神が創造した運命の形-それがその円環の姿の意味である。エンチャントは、人が神の領域に立ち入らないようにする監視者として、神への報告、さらに人間の悪しき行いを正す役目を担っている。
実在像としての炎を用いた 奇跡を司る力天使。
その力は勇気を象徴されるとされる。燃え盛る太陽の如き灼熱の炎は、この天使が認めた者にとっては闇を払う希望の光となるが、認めざるものにはまさに地獄の業火となって襲い掛かるという。
天使のヒエラルキーにおいて第四位に数えられる主天使。
神の裁きと畏怖される雷を操り、人々に神の威光を知らしめることを役割とする。自然現象として認識されている雷のほとんどはこの天使によるもので、驕れる人間の振る舞いが天の逆鱗に触れた時、その怒りが稲妻となって天に轟くと言われている。
その昔、自国を侵略戦争から守るために魔女と賢者の一族が作り上げた、巨大な兵器。魔女あるいは賢者だけがこの巨大な物体を使役する術を持ち、怪物のような姿に変化させて敵を襲わせたという。操る者の力が強いほど、ゴーレムもより強力になった。
中枢部にある、術者の命令を受け取るコアが弱点ではあるが、これを破壊できる兵器はまずない。度重なる戦争に備えて多数のゴーレムが製造されたが、魔女と賢者の一族はこれらを悪用されないよう、秘術を使って異次元へ隠した。彼らが全滅して500年前の時が経った今でも、主の命を待つゴーレムがどこかに眠っているという。
炎を纏うグレイスと雷を操るグローリーは双子の天使で、常に二体一組で神を護衛している。この天使は常に気性が荒く、天使の兵卒を率いる軍神として描かれることも多い。その腕に備えた巨大な爪の如き神具が、彼らのその荒々しさを象徴していると言えよう。
人間たちの間で、双子がほかの人間よりも霊力が高いと信じられているのは、この天使たちの祝福があるためと信じられている。
天使の九階級における最上位の天使「熾天使」で、神への愛と情熱を司る、銃朴の鎧を纏ったグラシアスと、漆黒の鎧のグロリアスは、二体一組でいることが多いとされるが、その存在自体が伝説的であり、実在するかどうかも含めて諸説ある。
強大な神力を持つはずの彼らが、魔の軍勢との戦の場に現れた記録がないのは、彼らが力を振るえば世界が崩壊するからとも、誰も生き残らず伝える者がいないからとも言われる。
「統治」「主権」「支配」を意味する主天使の中でも、「調和」の名を持つこの天使は、特別に平和の象徴と捉えられている。我々の世界に顕現する時には、オーロラのような光に見えると言われているが、それはプルガトリオから見ることが出来れば、ヒレのような羽を大きく広げて人を包み込もうとしているハーモニーの姿である。
三叉の矛を持って悠々と空を飛ぶ姿で描かれることが多く、天界でも空の守護を担っていると言われる。
天使上位三隊の「父」のヒエラルキーに属する天使で、座天使と呼ばれる。
このクラスの天使は非常に高位な霊的存在であり、人間が出会う事はまずない。絵画などで、燃え盛る車輪の姿で描かれるインスパイアドを見ることが出来るが、ヘビのように長い体躯をぐるりと曲げて鎮座する姿を、霊感の強い画家が描き写したものであろう。
彼らは、自らの唯一神たる主の戦車を運ぶ役割を持つとされるが、実際には天に仇なす闇の眷属を無作為に飲み込もうと戦場を飛び回っているにすぎない。
もしも人がこの天使を見たならば、きっとその姿を車と重ね合わせるに違いない。しかし言うまでもない事だが、この天使は有史以前の遥か昔より存在している。
アイレニックは、天の意思をあまねく天界に伝令する役目を持つとされ、箱型の体に4つの車輪を付け、猛スピードで走る姿で表されることが多い。その速度は風よりも速く、人間界の数千倍とも言われる広大な天界を、僅か一日で走り抜ける。
この天使が人間の前に姿を現すようになったのは18世紀の中頃、ちょうど産業革命に湧き始めた時代のことであり、人類初の蒸気機関で走る自動車が現れた頃と符号する。
天使のヒエラルキーの最上位に君臨する「熾天使」の一人。このクラスの天使は、物質的な概念を超えた霊的な存在である。彼らがとる姿も川の流れのように不定形で、一時的なものでしかない。時に人間の女性形に似た姿を見せる熾天使ジョイは、姿を変えるどころか、その身を分離させて複数の意識を持つことすら自在だという。
魔の物を討ち滅ぼすことを使命とした能天使において、天使の一軍を戦場に運ぶ役目を持つとされる存在。無数の天使を率いて飛ぶ姿は雄大で、それを幸せの到来と捉えるものもいた。
イザヴェル聖典の一つである「創世記」にある、愚かなる人類を滅ぼす洪水から逃れるために遣わされた箱舟は、このキンシップが顕現したものだったのではないかと言われる。悪しきものが近づくと、光の飛魚を放って神に従う無垢な人を守ったという。
べヨネッタと同等、あるいはそれ以上の力を持つ女。その鋭い眼差しが、べヨネッタの失われた記憶を呼び覚ます。月明かりに照らされた闘技場。アンブラの魔女。族長即位の儀…。二人の過去には、一体何が?
「どうだ、お前もこの正式な場で勝負を決したくはないか!」
遥か昔、互いに力のバランスを保ちながら、流れ行く歴史の動静を見守った、アンブラの魔女とルーメンの賢者。彼らはある日を境に激しく争い始め、そして滅び去っていった。暗く冷たい湖の底で眠っていた、べヨネッタただ一人を除いて…。
失われた記憶を取り戻すため、光と闇の戦いに再び身を投じるべヨネッタ。その前に現れた謎の女は、一体何を知り、何のためにべヨネッタを狙うのか?
「お前が長きに渡る眠りから覚めた今こそ、勝負を決する時なのだ!」
セレッサを案じて同様を隠せないべヨネッタの前に、もう一人の魔女ジャンヌが立ちはだかる。その目に宿すのは、幼子の命すら意に介さない狂気の野心のみ。ジャンヌは因縁めいた木像にも顔色一つ変えず、べヨネッタの退路を塞いで無情に言い放つ。
「より熾烈な運命を乗り越えてこそ、"闇の左目"の資格は得られるのだ、来い!」
500年前の騒乱で滅び去った、ルーメンの賢者とアンブラの魔女。両者の間には、決して犯してはならない掟があった。"光と闇が交わる時、災いは訪れる"…。
その禁を破って光の使者と交わりを持ち、べヨネッタの命を執拗に付け狙う魔女ジャンヌ。その銃口の前に立つべヨネッタは、殺気の奥に何かを隠すジャンヌの瞳に、戦うことへの戸惑いを覚えていた。だが両者の激突は、もはや誰にも止められない。
「我らが一族の至宝"闇の左目"は誰にも渡さん!」
中世の時代、霊力の強い人間の間で、天の理を成すと信じられた偉大なる意思「四元徳(カーディナルバーチュズ)」の一人で、「忍耐、勇気(フォルティトゥード)」と呼ばれる人知を超えた存在。
巨大な顔に二つの龍の顔を持ち、大地を裂いて煮え滾る溶岩を呼び起こす荒々しい姿で描かれることが多いが、実際に目にした者は一人もいない。
「四元徳(カーディナルバーチュズ)」のうち、「節制(テンパラチア)」の意思は一際巨大な姿で描かれる。城のように聳える胴体に、巨木のような日本の腕。その泰然とした姿に、人々が如何にこのラグナを畏怖していたかが表れていると言えよう。
この意思の力が我々の世界に働く時、それは一国を飲み込むほどの巨大な竜巻となって現れると言われる。怒りか、喜びか、天の意思を推し量ることなど人間に出来るはずもなく、竜巻に見舞われた人間は、それが治まるのをひたすら祈り続け、己の節制を天に誓った。
天の偉大なる意思「四元徳(カーディナルバーチュズ)」のうち、「正義(ユスティジア)」が表される姿は殊に異形である。幾つもの顔が集まって出来た塊、そこから伸びる無数の触手、まさに悪魔とも形容できる威容だ。正義を成すことの難しさが、描く者の心にあまりにも大きい畏敬の念を抱かせるためだろうか。
このユスティジアは、天の意思の中でも、実は最も魔界に近い意思だという考え方がある。正義とは、人が従うべき正しい道理のことであるが、その道理を定めるのもまた人であり、見方を変えれば悪にも転じる-その危うさが、ユスティジアの姿や伝承に表れているのかも知れない。
実体として描かれる「思慮、叡智(サピエンチア)」の意思は、大海原を泳ぐ海獣のような姿で表されることが多い。人々が生命の源たる"母なる海"に、思慮、叡智のイメージを重ねたためであろう。
サピエンチアが人界に及ぼす影響は、津波や潮の満ち引きなどに例えられる。大いなる海の営みこそ、天の意思の働きに他ならないという雄大な考えは、サピエンチアが「四元徳(カーディナルバーチュズ)」の中で、慈愛に満ちた天の意思を代表するものであることを表している。
奴隷として生まれた救世主が、民を率いて支配階級から逃れようとしたとき、海を裂いてその逃亡の手助けをしたのがこのサピエンチアだという言い伝えもある。
神話に登場する彼女の名は、実際に口に出すことが不可能な音節で構成される。天の意思そのものである彼女を、人の言葉で表現することは出来ないからだ。だが物質世界に縛られる人間は、祈るために彼女の姿を描き、自らの言葉に置き換えねばならない・(祝宴)、(祝祭)を意味する言葉で当てはめたのは、それを唱えることで人々は天の意思を自らの喜びとしようとしたのだろう。
このジュベレウスは、遥か太古に世界を巡る争い「ファーストハルマゲドン」が起きた際、その頂点の座を追われた上に、三つに分かれた世界のうち(光)を司る天界へと追いやられ、覚めない眠りについた。それ以来、光と闇の軍勢は、覇権を巡って激しく争い続けているという。
彼女の復活、そして三世界の統一は、光の軍勢だけでなく、救いを求める人間にとっても数世紀に及ぶ宿願なのだ。
500年前、魔女狩りを扇動してアンブラの魔女のみならず同族の賢者さえ全滅に追いやった上、捕らえたジャンヌを術で操り、私欲のために利用した非道の男バルドル。
北欧神話の光の神の名を冠し、力のある賢者として将来を嘱望されながら、彼は一族の禁を破って一人の魔女と交わり、子を儲ける。それは、光と闇の一族に等しく分け与えられた、歴史の観測者たる"世界の目"を我が物にするための策略であった。
500年に渡って人々の信仰心を集め、光・闇・混沌の三世界の統治者ジュベレウスの復活も目前に迫った今、ただ一人の賢者である自らが、己の血を受け継いだ魔女べヨネッタと共に"世界の目"となり、新たな宇宙を創造せんとするバルドルの野望はクライマックスを迎える。
半刻のちには決着が付くであろうこの運命を、最後まで見届けるのは一体誰が…?